2011年6月5日日曜日

落差

ドストエフスキーの小説、「白痴」のラストで、主人公のムイシュキンは元の保養地での療養に帰っていきます。

唐突ですけど、この療養する人の佇まいって、ものすごい。
やれるだけのことをやって、飽きるくらいやってみて、やりきったら枯れてもいい、最近つとにそう思います。
というか、やりきった先の真っ白な状態に、白痴の主人公ムイシュキンの最後の佇まいに憧れを抱いてるのかもしれません。

自分でおかしなこと書いてるなぁとは思ってるんですけども、ことあるごとにこのムイシュキンの佇まいが脳裡に浮かんでは消えするんで、なんでかなぁと。都度問題の根を堀るのは先送りにしてきてるんですけど、そろそろ気がつくことないかいってこと?

商売とはいまのところまったくもって直接関係の無い話です。
でも、このムイシュキンの佇まいの在るところと、自分がいま商売・ビジネスをしながら進んでいくところは、実はおんなじところなんじゃないかなって思い始めています。もしかしたら違うかもしれないけど、、、どっちでもいいんですけど、、、どうかな?まぁ、今はまだ結論でなくてもいいってことにしておこう。

というか、最後の状態に至る直前のカタストロフのピークのところ、その状態をどれだけ高く、どれだけ長くできるか、なんでしょうけど。
あ、そうか、ギャップか。これ、ダブ・ミュージックもそうですね、低音と高音・密と疎のギャップ、サッカーのゴールとかテニスのラリーとかもそう。至る所にあるね、このギャップ。きっとデカければデカイほどいいんだ、このギャップ。

はい、これからもギャップを大事にやっていきたいと思います。

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