2012年8月31日金曜日

終わり。始まり。

また夏休みが終わります。
旅行から帰る子連れのひとたちの姿もちらほら。
この子育て世帯の夏休み、僕の田舎の岩手のほうだともう少し早くて、お盆が過ぎると同時に夏も終わり、子供たちの夏休みも終わり、そして、冬の備えの為のせわしない時期に移ってゆきます。
お盆は毎年実家で過ごすことにしているので、北の夏が終わることを感じ、またここで東京の夏の終わりを迎える、だから一年に二度夏の終わりを経験する事になります。
三年前に実家の祖母が死に、墓参りの意味が少し変わってから、殊この感覚を意識するようになったように思います。
花は北上、折り返すように夏は南に向って終わる。
この感覚は、この二つの夏の終わりを感じることは、北でうまれて東京で家族と生活する今の僕や家族にとって何か意味のあることのように思えて、だからお盆を田舎で過ごすのかもしれません。

そんな八月の晦日の折、妻とやっているロシア絵本のお店、ふぉりくろーる。をリニューアルオープンさせることにしました。

ふぉりくろーる。

休止している間にも多方面からのお引き合いを賜り、本当にありがたいことです。
今後はウェブ上での活動を充実させてゆくとともに、次のステップに向っていろいろ膨らませていきたいと思っています。
まずは本日正午のウェブショップ開店、どうぞよろしくお願い致します。

夏の終わりというものの、まだまだ暑い日が続いていますが、どうか実りある一日を!

2012年8月16日木曜日

疲れシラズ

お盆の三ヶ日は実家のある岩手で過ごしました。
完全休業です。
しかし、完全休養は無理無理。
実家に戻るとうちの子達に加え甥っ子姪っ子総勢11人が好き放題やっとるんで、まさに日々カオス!
10分おきに誰かが泣きわめくんで、寝っころがってる場合じゃないです。
でもまぁ、子供らは水や空気のうまい田舎でめいっぱいひろびろーのびのびーな夏休みを満喫できたようなので、また、自分も子供と一緒になってはっちゃけられたのでそれはそれでオッケー。

商売の方も、八月の前半はお盆期間のための仕込みをせっせこせっせこ積み上げておりましたので、やった分の成果はちゃんと出ているのでホッとしてるところ。
東京に戻ってからは、夏休み明け、読書・芸術の秋、クリスマス・年末、それぞれの大きな需要に向けてしっかり準備して行きたいです。

それと、うちの商売とは直接関係ありませんが、地元で建築・建設業に携わっている父親から聞いた話。
ここ岩手も含め、宮城・福島の三県の沿岸地区では復興関連の建設需要過多で、地元企業のみならずゼネコンはじめ中央の大手業者もリソースが足りない中、まったく供給が追いついておらず、工事が進まないどころかそもそも計画が始められないといった状況なんだそう。
それに追い打ちをかけるようにして、特需目当ての業者が営業先行で受注契約するだけして挙句工期遅れ当たり前、延ばすだけ延ばして契約不履行、代替発注かけようにもまともなところはどこも既に塞がっていて、そんな調子なので復興計画は遅々として進まず、現状今後も良くなってゆく見通しが立っていないのだそう。それだけに留まらず、ひとの足元みた高額見積りをふっかける業者も出る始末だそうで、ここにも人為の落穴。
地震や津波の被害ばかりでなく、言わば人災とも呼べる傷みによって自分の故郷岩手東北が思うように治癒できずにいる。
そう思うと結構こたえます。
そんな中でも心あるまっとうな業者は、震災以来ずっと120%の稼働で対応しているのだそう。

僕らも、結果を焦らず、日々の仕事をしっかり積み上げてゆこうと思います

2012年8月12日日曜日

能無し

一応これでも古本など転売しながら生計を立てている身なわけですが、やっててつくづく思いやられるのは、自分の知識のなさ。
いや、社会生活を営んでいく分で困るほどではないですけど、ほんとうに知識がない。
時々自分でも、俺ってほんとうは馬鹿なんじゃないかと疑いたくなるほどです。
特に、商品知識というものがまるで備わっていません。
一応、美術・芸術分野に関してはお酒飲みながら談議する程度には知ってるつもりですけど、金にできるほどかと言われると黙っちゃう。
本は好きで読むときは没頭して読みますし、所謂教養番組なんかも好んで見ますし、人の話聞くのも好きだし、情報は日頃かなりこの身に浴びせかけている筈なんですけど、なぜか使える知識として定着されない。
知識のための装置としての脳の使い方がまるでわかってないとしか言いようがない・・
あ、こうやって書いているうちになんだかまわりがポッカリ白くなってきました。

ダメだ、知ってる事に興味がわかない。。知らないことだけ、知りたいよ。。

2012年8月9日木曜日

五年後

こっからの五年てどんなだろうって想像します。
よくやります。毎年、毎月、こっからの五年てやつを。
でもここまでの五年てのは全くと言っていいほど気にしない。
常にここからの五年。回顧はなし。でも代わりに懐古ばっかし、なんちゃってw

で、実際のところ、五年前に想像していた五年後の世の中は、現在の世の中とだいたい一緒、我ながらうまく想像できてる。
でも、五年前、いまの自分の状況だけは想像しきれていなかった。
五年前にサラリーマンになってる自分を十年前の自分は全く想像できてなかったし、古本商売しながら五児の父親になってるとは五年前夢にも思ってなかったw

なんか、世の中の未来のことはしっかり予測するくせに、いや、予測しているからこそかな、それに合わせた自分を用意しようとしていない。
まぁ、単に無計画なだけなんでしょうけどもw

とは言え、こっからの五年、果たしてこれまでと一緒でいいのかなぁ。
五年後の世の中と、五年後の自分、ぶつけてみたいんじゃないのかなぁ、俺。
そして五年後に回顧したいんじゃないのかなぁ、成ったじゃん俺、五年前に想像してた自分に初めて成れたじゃん!
そう回顧したいんじゃないのかなぁ、そろそろこの俺は。

自分で自分の回顧展催せるくらいの、回顧に値するくらいの自分、どんどん用意していかなくちゃな。
五年後の自分を追い越すくらいに。

2012年8月2日木曜日

買わない理由

最近、一部でメディアを賑わせている?せどり業界ですが、このせどりという言葉の指すところの定義がこのところぐにゃんぐにゃんwで、というのも、元は業者間で利鞘を取るために立ち回るプレーヤーを言っていた(by Wikipedia)ものが、ブックオフで買ってAmazonで転売するだの、ヤフオクで買ってAmazonで転売するだのまたはebayで輸出入するだの、終いにはAmazonで在庫切れしそうな商品を新品で買っておいてプレミア化したらAmazonで売り抜くといった手法に至るまで、凡そネットで転売する行為はすべてせどりに当てはまるといった何でもありバーリトゥード状態になっています。もうすべての商行為=せどりって言えちゃいそうな勢い。商社もせどらーw。

そして最近のトレンドは、この有象無象のせどりマーケットで稼ぐためのノウハウビジネスへとメタ化、いわゆる情報商材をせどり手法でパッケージングするというもの。
この業界、もうすっかり成熟し切ってるんですね。
経験より言葉が売れてしまうとしたら、それはちょっとイヤな世界。
原子力政治と一緒な感じ。
津波ソングとおんなじ。
個人の内面を歌えばそれはたちまち世界の相貌としてあらわれてくるような時代に、自分の体験よりも誰かの体験を先んじてしまうような事が起こるとしたら、それは個人の時代の象徴としてはあまりに錯誤だ。

僕は自分で感じたことしか信じないし、僕が行ったことしか感じられない、感じたくない。そして言葉は素晴らしいし、僕も言葉を愛す。ある言葉とは僕の全体を貫くものだし、僕の全体を貫いていった事は特別な言葉となる。だから、そうじゃない言葉に対しては僕は買わない。



では、これからサッカー観戦です。

2012年8月1日水曜日

好きに向ってフットワーク

電車で移動していると、大きな荷物を持ったひとを多くみかけるようになりました。避暑でしょうか。思いおもいの夏休み。
大きい荷物を抱えたひとを見るのは好きです。いろんな想いを詰め込んだバッグを抱えてほんの少しくたびれた格好で。

おもえばこの稼業も荷物荷物、いつも何か抱えて放しての繰り返し。見るのとするのと違いはあれど、好きなことのそばで仕事できてるってことなのかな。だとしたら、もっとそばに行けるようにもっともっと頑張ろう。