2012年7月18日水曜日

夢のコスト

僕には夢があります。
あくまで譬えるならの話だけど、それはイーハトーブ大学のようなもの。幻想であり同時にリアリズムである何か。
言い換えると、ポエジーと等価され商われること。
そこに何か生きていることの本質があるような気がして、そういうことを自分の人生の全体を貫いて感じられるようになりたい、或いはただただ向かって行きたいってだけなのかもしれないけど。
いまの稼業からどうやってその夢のところに辿り着くのか、正味のところさっぱりわかりませんw
わかりませんが、何するにつけやって来ては過ぎてゆく選択のひとつひとつが、その度毎になんとか夢をみることを自分に繋ぎとめておいてくれる唯一の手段であるかのような気がするから、だから、どんな稼業をしていたって、その中で自分がちゃんと選んだんだって言えることが言い続けられるってことが最も大切なことなんじゃないかって思います。


雨の日も晴れの日も、それに見あった選択をしていければいい。
天気予報ばかり気にしてたんじゃもったいないと思う。


ただ、こういう言葉は無力だな。
いくらもかかってない。聞いてくれるひとにとっては多分無料同然。でもいい。自分の夢のためだから。それに対してはこれからも自分で払ってゆく。

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